ヨセフが目覚めた時、彼はこう問うだろう。
私は夢を見ているのだろうか。
ともかく、出発の時だ。
その光がどこから射し込んで来るのか。
クリスマスは、このようにして逃亡から始まった。
『逃げなさい』の声が聞こえて来る。
障がいに老化が加わって、どのように逃げたらよいのか。
しかし聖家族は逃げた。
明日を待たなかった。
このわたしもヨセフのように疲れ切って、こごんでいる。
どこからか、「長生きしすぎたのかなあ」と声が聞こえて来る。
私は寝返りマットの中で身が縮んだ。
『生きることはキリスト。死ぬるも益なり』と言い返せなかったこの身のふがいなさ。
しかしこの時は逃げたが、ゲッセマネで自ら手を差し伸べて十字架に己の身を委ねた。
いまも世界中を逃げ回っている人がいる。
この人のために、まだ幼子の時なのに、逃げて下さったキリスト。
「そこにはマリアがいるではないか。
幼子がいるではないか」と言う声に合わせて「コロナ禍から逃げまどう人がいるではないか」と天から大音響のように聞こえて来るのはわたしだけか。
それでも、今年もクリスマスは来た。メリークリスマス!。