2020年12月13日 絵画に見るクリスマス

「レンブラントのクリスマス」という本がある。
その作品を通して、聖誕を黙想したステキな書である。その作品の一つに「ベツレヘムの馬小屋でのヨセフの夢」がある。
クリスマスになると、感動して読む一節である。

その前に聖書による背景が必要であろう。
ベツレヘムでお生まれになった「世界の救い主」のグッドニュースを聞いて、東方から博士たちが祝いに訪れました。
最初博士たちは、王様が生まれるならばきっと都だろうとおもってエルサレムに来ました。
『拝みに来ました』と言っています。
ところが都は、全く冷淡でした。
ことに時の為政者ヘロデは猜疑心の強い男でしたので、ライバルが現れたとばかり不安をつのらせました。
エルサレム中の人たちも、この王が怒り出したら何をやらすか分かったものではないと息をひそめていたのです。
案の定ヘロデは大変な事を考えていたのでした。
博士たちが帰って行ったあと、ヨセフが夢で、『立って、エジプトへ逃げなさい。ヘロデこの幼子を捜し出して殺そうとしています』との声を聞いたのです。


レンブラントの作品は、ここから始まります。解説者は語ります。
愛する妻の死後、画家にとって、骨の折れるもめ事にさみしさが募り始めた時、この作品は生まれたと。
ヨセフは疲れ、力も尽き果て、壁のそばの床の上に腰を降ろしている。
マリアはヨセフに背を向け、幼子を寝かせた方向に身を向けている。
ここでは、彼女とヨセフとは、あたかも無関係のように思われる。
そこで、天使はヨセフの肩に触れ、左手が指し示す方を見るように促す。
--そこにはマリアがいるではないか。幼子がいるではないか。
起きなさい。
もし、お前が起き上がらなければ、すべてが危険にさらされる。

 ヨセフが目覚めた時、彼はこう問うだろう。
私は夢を見ているのだろうか。
ともかく、出発の時だ。
その光がどこから射し込んで来るのか。

クリスマスは、このようにして逃亡から始まった。
『逃げなさい』の声が聞こえて来る。
障がいに老化が加わって、どのように逃げたらよいのか。
しかし聖家族は逃げた。
明日を待たなかった。
このわたしもヨセフのように疲れ切って、こごんでいる。
どこからか、「長生きしすぎたのかなあ」と声が聞こえて来る。
私は寝返りマットの中で身が縮んだ。
『生きることはキリスト。死ぬるも益なり』と言い返せなかったこの身のふがいなさ。
しかしこの時は逃げたが、ゲッセマネで自ら手を差し伸べて十字架に己の身を委ねた。
いまも世界中を逃げ回っている人がいる。
この人のために、まだ幼子の時なのに、逃げて下さったキリスト。
「そこにはマリアがいるではないか。
幼子がいるではないか」と言う声に合わせて「コロナ禍から逃げまどう人がいるではないか」と天から大音響のように聞こえて来るのはわたしだけか。

それでも、今年もクリスマスは来た。メリークリスマス!

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