2020年12月13日 音楽に聴くクリスマス

世界中で歌われる「きよしこの夜」はどうして生まれたんでしょう。
オーストラリア・オーベンドルフの聖ニコラウス教会助ヨゼフ・モールによる詞に、同教会のオルガニスト兼小学校教師のフランツ・グルーバーが曲をつけました。
1818年12月24日のイブ礼拝に、二人の独唱によって、ギター演奏により初演された。

ギター演奏となったのは、ネズミがかじってオルガンが故障したと逸話が語られていますが、もう少し複雑な背景があったようです。
当時のヨーロッパは二十年にもわたるナポレオン戦争によって、荒廃・疲弊していたが、ザルツブルク郊外、この小いさな村もオルガンの修理費すら出せなかったと思われます。
イエス様の誕生当時の貧しい時代と同様に、イエス様を愛する者達がこの賛美をつくって、今や世界中の人たちが歌っているのは感動すべき事でありましょう。
このクリスマスキャロルは、百四十カ国に翻訳され、、1995 年にはユネスコにより無形文化遺産に認定されています。

さて日本語では、由木康氏は「救いの御子は、御母の胸に」と英詞をそのまま訳しています(1931年版「賛美歌」収録)。
しかし、「賛美歌21」264番では、「すくいの御子は、まぶねの中に」と母マリアが消えてしまっている。
プロテスタントの由木康氏が、改訳にあたりカトリックの聖母信仰を思わせる表現を省いたと考えられます。
彼の代表作「馬槽の中」にはキリストの誕生から十字架の死までを、わずか四節の詞に見事に表現して多くの人に愛唱されています。
第一節には「まぶねのなかに うぶごえあげ (中略) 貧しき憂い 生くるなやみ、つぶさになめし この人を見よ」と歌う。
救い主、神の子イエス・キリストは、人としての「貧しき憂い 生くるなやみ」をともに味わって下さるために、宮殿や豪華なベビーベッドではなく、「馬槽のなかに」、すなわち、世の中から拒絶された、冷たい石の家畜用餌箱に生まれたのです。
「きよしこの夜」の訳詞においても、原詞にはない「まぶねの中に」と言う句を取り入れることで、由木氏は聖書が伝えるこのメッセージを伝えようとしたではないでしょうか。
(この項「よく分かるクリスマスー教文館」を参考にさせて頂いた)。
◇◆ ◇◆
わたしの「きよしこの夜」を振り返って見よう。
十七歳の時、はじめて燭火礼拝に出た。
車いすのなかった時分で、教会の方に負ぶわれて出席した。
それから自宅でも、伊澤記念男先生(脳性マヒの牧師)を招いて二十名位集まっただろうか。
二十代になり、新宿の施設でリハビリを受けることになる。
生涯歩けないと諦めていたわたしに歩く事が出来ると希望を与えてくれた医師を頼って。
その代わり二年間のうち半分以上は手術、手術で寝たきりの毎日だったが、クリスマスの夜、数人の教会の方々がローソクを手に持ち、静かに「きよしこの夜」を賛美して下さったことが忘れられない。
神学校を卒業して翌々年、青森三戸の教会に遣わされたが、その年のクリスマスイブ礼拝には、雪の降る中、大家さんが出席下さったのを今思い出しても喜びにふるえる。
美浜教会に仕えさせて頂いて二十三年、先輩で友人の先生が、ハーモニカと声楽を交えて「キャロルの夕べ」を毎年継続して開いて下さったことも忘れることのできない感動である。
それと数年前、背骨に水がたまってそれを抜いた夜、病室でケーキが出たが食欲もなく喉に通ることも出来なかった。
教会の集会に想いを馳せながら、感謝と涙の入り交じった聖夜を過ごしたことも記憶に留めて置きたい。

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