2020年12月2日 クリスマスメッセージ

神の約束とマリヤの決断

1:37 神にとって不可能なことは何もありません。」
1:38 マリアは言った。「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」すると、御使いは彼女から去って行った。
ルカ福音書一章三七~三八。

  クリスマスはこうして始まった
ガリラヤのナザレという小さな町に、御使いガブリエルが現れました。
御使いはヨセフと婚約中のマリヤのところに来ました。
そして入って来るなりこう言ったのです。
『おめでとう。恵まれた方。主が、あなたとともにおられます。』結婚を準備している方に、この言葉は何の不思議もありません。
むしろ自然です。しかし、聖書は『マリヤはこのことばに、ひどくとまどった』と記します。
いったい何をとまどったのでしょうか。相手が御使いだったからでしょうか。

すると、御使いは説明します。『こわがることはない。マリヤ。あなたは、男の子を産みます。
名をイエスとつけなさい。』、名前まで用意されているとは。
『私はまだ男の人を知りませんのに』と当惑するのは当然かも知れません。
ここにクリスマスの秘密があるようです。

それでもクリスマスは始まってしまった
御使いは、さらに奥深く説明します。
『聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力がおおいます。それゆえ、生まれる方は聖なる者、神の子と呼ばれます』。
ますます分からなくなります。
通常の出産は、男と女によります。罪ある男女から生まれる子どもは罪の性質から免れることは出来ません。
あとにもさきにもただ一度、男女からではなく、罪の性質を断ち切るために、聖霊による妊娠が、まだ婚約中の処女マリヤにおいて起こるという一方的な申し出なのです。
マリヤがとまどうのも、無理はありません。

マリヤは、成熟した女性を想像しますが、十代の田舎の小娘であったと言われています。
婚約時代は、結婚したらああもしたい、こうもしたいとさまざまな願いがあり、ヨセフと夢を語ったことでしょう。
そのときに、「そうはいかない」と「待った」が入り込んで来たのです。
私たちもさまざまな計画を立てている時に、この「待った」と声がかかることがありますね。
人生とは、思い通りには行かないことが多いのではありませんか。。

神にとっては不可能なことは一つもありません
これが、すべての問題の鍵です。この万能の鍵によって、クリスマスは不可能だらけのこの世界に起こったのです。というのは、この万能の鍵を持っていらっしゃる方は、この世界と私たちひとりひとりを造り、生かして下さっている方だからです。

マリヤの「はい」は絶対か
マリヤはこれに対し『ほんとうに、私は主のはしためです。
どうぞ、あなたのことばどおりこの身に成りますように。』と応答しました。
私はクリスマスの礼拝に於いて、何と敬虔な模範として語って来ました。
私たちは納得できない事柄には、決してハイとは言いません。いや、言えないのです。

ところがよく調べて見ますと、これはとんでもことです。
ある説教者の註解によりますと、
『これは、天使を介して申し込まれた神さまの申し入れをマリヤが承諾したという意味ではありません。
神さまは一方的に、マリヤを用いると語ってこられた。
しかも、マリヤのこれからの一生涯をまるまる神の自由に使うと言うことを、「恵みをいただいた」という。
神さまという方は厚かましい方なんですねえ』と、
少し引用が長くなりましたが大切なことが語られていると思うのです。

コロナ時代の討論を聞いていますと、今は感染予防のために、移動、活動の自由が著しく制限されている。
これは重大な問題だと言うんです。戦時中は一切自由はありませんでした。
何かというと「非国民」と言うレッテルを貼られ、ようやくにして敗戦になって自由を獲得したのです。

今、その自由が国家権力によってではなく、疫病によって奪われようとしているのです。
今自由を奪おうとしているものが、権力であろうと疫病であろうと、背後にうごめいているというものが存在するという認識がどれだけあるでしょうか。
だいぶ大風呂敷を広げ過ぎました。

話しをもとに戻しましょう。マリヤは自分の自由を神さまにささげました。
これが献身です。献身はうつくしい。
でも使って下さる方がいなければ、一文の価値もない。
マリヤの献身は、神さまが使って下さったからこそ、救い主がお生まれになり、私たちひとりひとりにクリスマスが来たのです。
十字架による罪の赦しと真の自由が。
『おめでとう。恵まれた方。主が、あなたとともにおられます(ように)』。

十四世紀のイタリアの画家、シモーネ・マルティーニの作品に「受胎告知」があります。
けれども、このマリアは眉間にしわをよせて、天使をにらみつけたくなるような表情をしていると解説者は述べています。
クリスマスのたびにマリアの従順を模範として語って来ましたが、異なった角度から考えさせられる絵であります。
これから幸福な生涯に入らんとする者にとって、にらみつけたくなる出来事が起こる。
その苦悩を胸に秘めての「献身」であることを、コロナ禍の厳しいクリスマスのときに受けとめたいと思います。

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