2013年10月28日 牧師のデスクから

【牧師のデスクから】

  祈れない苦しみを、だれもがもっている。祈らなくても、平気でいられる人は別だが。
バンヤンは「祈りの時に心に覚える苦しさよ!心には神の御前からはずれて行ってしまう」と嘆いている。
 グールバーンは「あなたがいつものように祈れない時は祈れるだけ祈りなさい」という。ローウェルは「真に祈りたるはわが生涯に三度しかない」という。フォスディックは「祈りはつむじ曲がりの気分を征服する偉大な征服者である。あなたは祈れる精神にないゆえに、気分がよくなるまで祈ることをやめると言うのか」という。
 異教徒でも熱心にいのる。まして聞いて下さる方がおり、聞いてあげようというお方がいますのに、祈らない。おかしいではないか。
 祈れない、祈ろうとしない、気分が乗らないから祈らない。祈れないキリスト者は戦えない。長々と祈る人がいる。それもまたむなしい。
2013,10,28美浜教会週報より

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